今年の目標

皆さんあけましておめでとうございます。やっぱり、このあけましておめでとうっていう挨拶は良いですね。年に1回しか使われないからかもしれませんが、レア感がありますし、他の挨拶よりも高貴な感じがしますね。

こんな若輩者ではありますが僕なりに今年の目標とやらを考えさせていただきました。そして発表させて頂きたいと思います。

今年の目標として掲げるのは「ふざけ倒す」ということです。前年の2014年も僕なりにそこそこふざけていた感はありましたが、いささか中途半端と申しますか、ここでやらなければいけないというような義務感にかられてふざけていた気がいたします。

2015年は義務感ではなく、自分にとって呼吸をするようにふざける。そうやってふざければおふざけの神様、笑いの神様が物凄く身近な存在になってくれる気がしますし、そうすれば日常で笑える回数だったり、不条理な事があった時に抱くマイナス的感情を笑いに替えれることが増えるんじゃないかと思うんです。

今年はいかにふざけれるのか。ただ、ふざけるというのも決して楽ではありません。非常識なことをするにはまず常識を知らないといけませんから。

亀の話

皆さんは亀に対してどれぐらいの感情を抱いているでしょうか。ノロマと言う意見もあればストレートに気持ち悪いという意見もあるでしょう。しかし僕は亀のあのフォルムが好きなんです。

特に甲羅。あんな専用アーマー(ガンダムネタと絡めたかったがガンダムを知らないので全く絡められなかった・・・申し訳ない)を持っている動物は亀しかいない。しかも形だけのもので機能していない類の物では無く、本当に硬いのだ。本当に身を守っているのだ。やっぱり、機能しているというのはかなりデカい。機能していなかったら-50ポイントは免れないと思う。その事から考えてあの甲羅は凄い。爬虫類の域を軽々と越えている。

そしてあの渋い顔。ギラギラした若者、例えれば人と違う事をするのがカッコいい、だから成人式で暴れる。みたいなアホなヤンキーみたいな顔とは180度違う渋い顔。数々の戦場を切り抜けてきたグリーンベレーにさも似たり。ゆったりした動きも数多の修羅場を切り抜けたからこそ会得した一切無駄の無い動きに見えてくることでしょう。

やっぱり亀は凄い。あんな戦闘に特化した生き物も他にはいないはずです。この記事で言いたいのは、僕は亀が比較的好きで成人式で暴れるようなアホヤンキーは大嫌いということでした。

旅行の話

旅行と言うのはなぜあんなにも楽しいのか。なんか怪しい出だしになったもののこれは揺るぎない事実であると思う。旅行は楽しい。注射は痛い、砂糖は甘い、くらいの確固たる事実だ。

旅行は楽しいと言う事実からちょっとわき道にそれて、旅行には、一人旅派と皆でワイワイ派という2つの派閥が誕生すると思われる。皆さんはどちらか、と言うのはさて置いて今回は2つの派閥に所属する際の利点を書いていこうと思う。

一人旅派。自分のペースで楽しめる。これは実はかなり大きいと思う。例えば景色を純粋に楽しみたい時に限って、同行した友人に邪魔をされる(話しかけられたり、詳しい説明を求められたり、いきなり攻撃されたり)ことは一人旅の場合は無い。空気もゲロを吐いてしまうくらいに大量に吸えれば、嫌と言う程の昆虫と触れ合う事も出来る。昆虫と触れ合う際も、友人が昆虫嫌いだった場合、興ざめも興ざめ。そのイベントごと無くなってしまう可能性大である。

皆とワイワイ派。文字通り皆とワイワイできる。とにかく、旅行先に向かう道中、旅行先、宿泊するホテル、旅行先から帰る道中、常にワイワイできる。これはこれでかなり楽しい。おしゃべりにしても、いつもと環境が違うとどんな内容でもなぜか楽しく感じてしまう(相撲の今場所についてや、カブトムシの話、茶碗蒸しの上手な作り方などでも)ただ、ワイワイし過ぎて後半、全員のスタミナが切れてしまうという可能性大である。

もしも、旅行の思い出として、景色だったり、料理の旨さだったりを記憶しておきたいのであれば一人旅、皆とワイワイして賑やかな思い出を記憶しておきたいのであれば皆とワイワイ。まぁ、何が言いたいかと言うと、時と場合に応じて好きな方を選びましょうということです。

飽きるという事

最近、飽きることが物凄く多くなった気がする。集中力が無くなったのか、探究心が無くなってしまったのか。まぁ、何かが欠損してるのは間違いないんだろうけど、この飽きるという事には何かと困っている。

特に、ゲーム。昔は寝る間も惜しんで、もっと言えば自分は寝なくてもゲームさえ出来ていれば健康でいれるという、電子機器健康説を唱えていたほどだ。でも今はゲームをしてもすぐに飽きてしまう。どんな気持ち悪い敵が来ても、どんな大きい敵が来ても、どんな頼りになる味方がいても、昔ほどやり進める気が無くなってしまった。

そんな自分でも最近ハマったゲームがある。それはドラゴンクエスト8。これには滅茶苦茶はまってしまった。まず、あのドラクエの世界が3Dで展開される素晴らしさ。一番最初に登場する、全ゲーム史上最弱キャラともいえるスライムですら超立体的。敵でこうなのだから味方も凄い。装備を変えただけで実際に画面にそれが立体的に表れるし何より技を繰り出せばその技すらも立体的に相手に向かっていく。この事によってRPGにはつきものの戦闘シーンを一切飽きずに迎えることが出来る。自分は立体的に映し出される技見たさに大量殺戮を何度も繰り返したほど。他にも魅力はたくさんあるが、語るとキリがないので、今回は割愛。

飽きることが多くなってしまった今、ドラクエ8に変わる何かにハマりたい。やっぱり昔のようにゲームにどっぷりハマりたいものだ。そうすれば不健康なこの体も、健康な超完全体になる気がする。

 

ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君

ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君

THE昭和プロレス

僕は昭和プロレスが大好きで、その話をよく同級生にしてポカーンとされることが多々ありました。恐らく、プロレスに対してなんか見る気がしないとか、偏見を持っている方は多いと思います。そんな方にはこの動画を見ていただきたい。


初代タイガーマスクの凄すぎるミサイルキック - YouTube

これ、現実世界の映像ですよ。この軽い身のこなし。切れ味鋭い技。全て取っても完璧ですね。やっぱり素晴らしいものは時代は関係ありませんね。

常に自分と・・・

断捨離をすることで心が整理されるという。確かにこれは事実だと思う。僕も断捨離までは行かないまでも、部屋を整理して心がスッキリするという経験はあるし、その後も気分の良さが持続する。

でも、重要なのは断捨離をして、部屋から物が無くなることよりも断捨離という1つの作業をすることで自分自身を見つめる事なんじゃないかと思う。基本的に作業をして集中すると、1人の世界が訪れる。その時にいかに自分を見つめ、自分と対話することが出来るか。だから断捨離をすることで心がスッキリすると言うよりも、自分自身と対話して、自分なりの答えを見つけれた事に対してスッキリしている気がする。

極端な言い方をすれば、断捨離じゃなくても、断捨離のようなことをすれば、例えば物を捨てなくても別の場所に移動をするだけでも自分を見つめればスッキリするだろうし、コツさえつかめばいついかなる時でも自分を見つめてその度に答えを出すことが出来るようになる。そうすれば落ち込んだり自責の念にかられる事も少なくなるのではないか。

常に自分と対話して、見つめる事が出来れば、と思うのだがなかなかスムーズに変化できない。こんなグチャグチャした気持ちを断捨離しなければ。

外食と意識の話

僕は小さい頃から外食というものをあまりしたことが無かった。理由はと言うと家の祖父が大の外出嫌いで、家族でどこかに出かけるという事を極端に嫌っているからだから。さすがに老いた男1名だけ家に置いて行って自分たちだけ旨いものを食う、という所業は気が引けるので、必然的に外食はしなくなる。せいぜい外食に行くのは父の実家に帰った時くらい。でもしょっちゅうは実家に帰らないので、久しぶりに帰るという事は同時に久しぶりに外食をするという事を意味している。

そして、今。相変わらず祖父を含めた家族全員で外食をするというのは一回も無いものの、友達たちとどこかに行ったついでに、外でご飯を食べるという事も多くなってきた。その時に感じるのが、僕と友達との間での外食に対する意識の違いというもの。

割と友達は、外食へ行っても平気で食べ物を残したりする。ラーメンのスープを飲まなかったり、付け合せの野菜を食べなかったり。残すのは食べ物の好き嫌いもあるだろうからしょうがないとしても、そもそもそんなに量を食べないという友達もいる。

あまり外食をせず、家でもそんなに食べない僕にとって、+200円や300円だけでソフトドリンク飲み放題や、ご飯のお替り自由というシステムはパラダイスと言っても過言ではない。ソフトドリンクだったら、膀胱がはち切れる寸前まで飲みたいし、ライスであれば毎度毎度こんもり盛りたいくらいなのだ。

まぁ、何が言いたいかと言うと、人が機嫌よくお替りをしてる時に半笑いで「よく食べるねぇ」という人間。僕はそんな人間が大嫌い、という事です。お替り自由なんだから、少しはお替りしたらどうだ?胃袋の大きさの違いがあるから強制はしないけど、だったらなぜ、人を小馬鹿にする?お前と俺の中で外食に対しての意識が違うんじゃ。お後が宜しくないようで。