パズル&ドラゴンズ

遅ればせながら、パズドラに完全にハマってしまった。パズドラにだけハマるならまだしもパズドラの名手、マックスむらい氏にも、完全にハマってしまった。

パズドラの魅力というのは、プレイ数3100万人という数値から察することが出来ると思うのでここでは敢えて語らないものの、ここでは個人的に感じる凄さについて少し。

個人的に凄いと思った所は、パズルゲームとモンスターを育成する育成RPG、それぞれでもうすでに確立されているジャンルの物を融合させ、さらにそれを一つのゲームとして昇華させた、と言う点にあると思う。

パズドラをやっている人にとって見れば、何をいまさらといった所だろうが、僕が言いたいのは、当たり前のように存在している二つの物、それを融合させてみようという決断に至り、それを実行したのが凄いという事だ。

家電製品に置き換えると、テレビと電子レンジ。この二つはもうすでに確立された電化製品だが、これを融合させようなんて、誰が思いつくだろうか?そして誰が実行に移すだろうか。

無謀といっても過言では無い事をパズドラというゲームは実際にやってのけた。そしたそれは大成功という結果を残した。目の前にあるものを一つの目線だけで見ず、色んな目線で見ることで、日常のふとした瞬間に、パズドラのようなものが産まれるのかもしれません。

屈辱的な話

屈辱的な意味で忘れられない話。そして誰も覚えていないだろう話。

僕が中学1年の頃、物凄く仲のいい友達がいた。仮にF君としよう。このF君とは毎日のようにつるんでいた。クラスも一緒だったし、部活も同じだったので、登校してからはほぼ一緒にいた。今考えれば凄い話である。

このF君は、クラスで1,2を争う程の人気者。しょっちゅうギャグを言うムードメーカーだった彼は、男女関係なく人気を集めていた。部活でもかなりの成績を残していて、更には勉強をやらせても、毎回学年でトップ3に入るほど賢かった。勉強も出来るし、授業中もしっかり発言し、授業が終わった後も先生に質問をする。なので彼は先生たちにも好かれていた。クラス中からも好かれ教師からも好かれるF君。どう考えても優等生だった。

その頃の僕は完全にF君の陰に隠れていた。当時の僕は、人気者のF君の横にただいる奴。そんな認識だった。クラスメイトが僕と喋る時、必ずと言っていいほど言うのは、「F君って面白いよね」と言う言葉。ある時先生に呼ばれ教務室に行くと、「F君呼んできてくれる?」と言われたこともあった。大した事ないじゃんと思われるかもしれないが、F君が面白いと言われれば、俺は面白くないんだ・・・とネガティブな感情を抱いてしまっていたし、F君呼んでと言われれば、俺には特に用事ないんだ・・・とこれまたネガティブな感情を抱いた。もしかすると、勘違いだったのかもしれない(まぁ、いまだに勘違いとは思ってないけど)でも、ネガティブな感情は頭の中から消える事無く、毎日加速をつけて大きくなっていった。次第に(俺はこのクラスに居場所が無いんじゃないか・・・)と思うようになっていた。本来あるはずの僕の席をF君が侵食し、クラスメイトも別にその事に違和感を感じていなかった。

ある授業で、先生が金髪のズラを持ってきたことがあった。そしてそのズラをなぜか僕が被ることになり、(厳しいなぁ・・・)と思いつつズラを被るとクラスメイトはほとんど笑わなかった。その次、僕と席が近かったF君が金髪のズラを被った。するとクラスは爆笑の渦に包まれた。

屈辱だった。ハッキリと負けを言い渡されたも同然である。面白いのはあくまでF君であって、お前じゃないんだぞ、お前はあくまでF君の添え物なんだぞという圧を感じた瞬間だった。傍から見たら大したことは無い出来事なのかもしれないし、ただの被害妄想なのかもしれない。しかしそれは当時の僕にとっては、気が狂いそうになるほど屈辱的なことだったのだ。

人生の中でもかなり屈辱的な話。あの瞬間のすさまじい程の屈辱感は、恐らく一生残り続けるのだろう。夏の終わりに、すみません。

 

追悼

ロビンウィリアムズが亡くなった。いろんなニュースで取り扱っていたので大抵の人は彼が亡くなったのを知っていると思う。

僕にとって、ロビンウィリアムズと言う人は物凄く特別な人だ。恐らくこの人がいなければ今みたいに映画を好きにはなってないと思う。それくらい影響力のある人。

ロビンウィリアムズ主演の「ジャック」と言う映画がある。この映画でロビンは人よりも4倍の速さで成長してしまう早老症を抱えた少年を演じていた。知能は10歳のままであるにも関わらず、見た目はその4倍の40歳。非常に難しいこの役をロビンは見事に演じ切っていた。ある所では無邪気に遊ぶ10歳を、またある所では40歳の渋さを、表現していた。

この「ジャック」という映画、そしてロビンウィリアムズという俳優は小さい頃の僕にとっては刺激的すぎた。しばらく僕の頭からはロビンウィリアムズが離れなかった。

もう一つ、「ジュマンジ」という作品。この作品にも小さかった頃の僕はドハマりした。この作品を録画したビデオテープを100回くらい見続けて、最終的にはビデオテープがイカれて、ロビンウィリアムズの喋り声と被る形で野原しんのすけのような謎の声が聞こえてくるくらいにまでハマった。この2作品で僕はハートをガッチリ掴まれたのだった。

ロビンウィリアムズの魅力は悲哀にあると、僕は思っている。作品などで見せる、物凄く明るい表情、しかし一瞬だけ哀しい物憂げな表情をする時がある。この表情の切り替えが抜群に旨い。明るいけれども実は悲しみに浸っている。それを自分でも分かりつつも明るく明日を生きていく。そんな表情や雰囲気を含めた演技(しかもこれが、旨すぎて素なんじゃないかと思ってしまう)が大好きだった。一流の人間と言うのは絶対に替えが効かない物だけど、その中でも特に替えが効かない人だったと思う。だからこそもっと長生きして欲しかった。

噂によると、ロビンの最期は自殺だったという。前にも書いたが、僕が一番好きだったロビンは、悲しい面もあるけれど、その悲しい面をグッとこらえて明るく明日に生きるという所。そんなロビンが自殺と言う、最も悲しい面を見せてこの世からいなくなってしまった事が残念で仕方ない。

 

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継続の難しさ

以前、かなりアッツアツにした風呂に30分間入るという行為をしていた時期がある。自分の中で「半身浴もどき」と称していたそれを毎日やっていた。なにせお湯が熱いもんだから5分も入っていれば大量に汗が噴き出してくる。じゃあ5分でいいじゃないかという意見が大半だろうけど、毎回さらに25分風呂に入っていた。

自分の中で、汗をかけば、どんな方法でも健康になるという解釈があったので、毎回自分が苦しくなればなるほど、自分は健康への道を歩んでいる。もう昔の俺とは違うぜ。と考えていた。

継続は力なりという言葉がある。物凄く良い言葉だし、実際その通りだと思う。ただ、何でもむやみやたらに継続すれば良いという訳でも無い。自分が目標にしている物と継続させようとしている行為の結果がちゃんとマッチしていれば初めて継続は力なりという言葉が真実味を帯びてくる。何かを毎日続けるという強い精神としっかり先を見据える事の出来る計画性。この二つがあってこその継続なのだと思う。だから継続は難しい。

そう考えると私が以前やっていたこの「半身浴もどき」は悪い方向性の継続だったと言える。確かに毎回フラフラだったもんなぁ・・・

異常について

今、ニュースでは毎日のように佐世保の女子高生が同級生を殺害した事件が取り沙汰されている。同級生をバラバラにしただとか、猫を解剖したいという欲求があり、さらにはそれを実行に移しただとか、掘り下げれば掘り下げるほど加害者は異常と言われ、さらにはその多くの情報が異常性を確固たるものにしていく。

確かに、同級生を殺害したり、猫を解剖するという行為は、残忍極まりないことだし、普通の人間はそれを実行には到底移せないはずだ。

しかし、連日の報道で取り上げられるのは、加害者の狂気であったり、異常性の部分しか取り上げられていない気がする。この、異常にだけやたらと焦点を当てるのには違和感を感じる。

これは個人的な意見ではあるものの、異常性というものは、この今回の事件の加害者だけが持っている物では無いはずだ。恐らく人間であれば、この異常性というのは誰もが持っていると思う。皆、この異常性を潜めながら生きているんじゃないか。

今回の事件は加害者が自分の持っている異常性を隠しきる事が出来なかった。出来事だけを取り上げると異常かもしれないが、自分の持っている異常性を隠しきれなかったという視点から今回の事件を見てみると、物凄く身近な物に感じられて、事件についての感じ方が変わるかもしれない。

毎日、番組で異常性を伝えているキャスター達にも異常性は絶対にあると思うし、次の日にはそのキャスターが殺人事件を起こしてる可能性だって十分考えられる。異常とはそういうものだと思う。

流行ったものの話

昔、子供の頃に流行ったものがある。それはドラゴンクエストのモンスターが鉛筆に描かれているバトエンという代物。値段は確か400円くらい。いわゆる雑魚キャラ鉛筆が4本、強いモンスターが描かれているレア鉛筆が1本という構成で販売されていた。

まず、断言出来るのは同級生皆が狂ったようにバトエンで遊んでいたという事。しかも学校で。そんなに好きなら学校が終わってから誰かの家で思う存分やればいいだろという話なのだが、不思議と学校が終わってからは誰もやらなかった。決まって皆が遊ぶのは学校の中だった。

今思えば、バトエンなんてカッコよく言っているものの、元をたどればただの鉛筆である。でも、そのただの鉛筆がマストアイテムだった。皆、勉強よりも強いバトエンを手に入れて勝負に勝つことに熱中していた。

バトエンが流行った理由は想像力にあると思う。全員、自分の持っているバトエンに愛着があった。それは頭の中にちゃんと自分の愛するモンスターが描けていたからだろうし、勝負に負けて悔しいのは、その愛するモンスターが激しい炎を受けている姿や、猛烈な吹雪、爆撃、唱えられただけで命を落としてしまう(こうやって書くと無茶苦茶だけど説得力はあった)呪文を受けてしまった姿を幼稚な発想ながらも描けていた。だから流行ったんだと思う。

もちろんこれはあくまで仮説。当時小学生だった皆にそんな想像力は無かったように思う。今だから言える事にしか過ぎないし、こればっかりは当時の自分を捕まえて聞くことも出来ない。多分そうだったろうという話。しっかし今考えると、皆安上がりな子供だったんだなぁ・・・

両津勘吉。

僕はこち亀が好きです。いきなりこんな文から始めるのもどうかとは思いますが、実際に好きだから仕方が無い。

こち亀には、好きなキャラがたくさんいます。中川や麗子、部長、本田。ネットではあまり良くは思われてはいないようですが、超神田寿司の面々も大好きです。その他大勢。

でもやっぱり一番好きなのは、両さんです。恐らく日本で両さんを嫌いな人は一人もいないんじゃないんでしょうか。

これもまた事実ですが、両さんはまぎれもないオッサンです。髪型も角刈りですし、身長もそんなに高くない。顔も強面。作中でも何度もヤクザと間違えられています。本来人気が出そうなキャラは、同じ男で言ったら、中川なんですよね。

じゃあなんで両さんはなんで皆に好かれているのか。それは恐らく両さんが自堕落、もっといえばダメだからなんだと思います。この世にダメなんて一つもないとは思うんですが、それでも、両さんはダメなんだとおもいます。言い方は悪いですが。

両津勘吉と言う男は超人です。何でもできます。スポーツもなんでもできるし、なにか事業を始めるとほとんど成功しています。啖呵売なんてお手の物で、本職よりも客を集めます。病気にもなりません。手先も器用ですし。そして何より、犯人もしっかり逮捕している。本当に何でもできるんです。もう一度言いましょう、両津勘吉は超人です。

ここまでいいましたが、それでも両さんは、毎回ダメな姿を見せてくれます。何をやらせてもそつなくこなすのに、婦警からは嫌われるし、部長からは怒られる。超神田寿司でも素人とは思えない技術を披露しますが、それでも怒られる。

でもこのダメな姿がこっちからすると凄く安心できるんです。こち亀を見ている俺はダメ人間だけど、両さんも怒られてるからいいやと言う風に。だって誰よりも凄いのに誰よりも怒られてるんですから。

やっぱり、両さんにはもっとダメでいてほしい。そしてもっと怒られて欲しいです。色々言って来ましたが、何が言いたいかというと亀有に行きたいという事です。ご清聴ありがとうございました。