言葉の重み

ネットの中で「コミュ障」という言葉がある。他人とのコミュニケーションが苦手な人を指しての言葉。僕はこの言葉が嫌いでしょうが無い。そりゃ、どんな人間だって初対面の人と喋るのは緊張するだろうし、その人間として当たり前の行為に対して軽々しく、障害という言葉を使うなとも思う。この「コミュ障」と言う言葉には悪しか無いと思う。

世の中には色々な言葉がある。もちろん受け手が喜ぶ、美しい言葉もあるけど、その中には相手を平気で傷付ける言葉だってある。むしろ、そっちの方が多いくらいだ。そう考えると、言葉を使うというのは、常に真剣を振り回しているようなものなのだ。

この、言葉の持つ重みに気付いていない人が多いんじゃないかなと、ふと思う。言葉と言う真剣の振りかざし具合一つで、相手が再起不能にまで追いやられる事だってある。一方では、相手を歓喜させて、一方ではとことん追い込む。その儚くて残酷なのが言葉なんじゃないか。

やっぱり、一度言葉という物を見直した方がいいのでは、と思う。でも、最近増えている、ただ単に韻を踏んでいるだけのラップを聞いて、そんな事は到底無理か、と少し悲しくなった。まぁ、もうなんでもいいか。